丹後宮津にある盛林寺(曹洞宗)へ行きました。
ここは、明智光秀の娘(玉)が、光秀の首を供養したと言われる処です。
山崎の合戦後、娘の玉は?味土野に幽閉されていたので、盛林寺へ来る事が出来ないと思うが・・・。

盛林寺b

盛林寺a

出掛ける前に、電話予約していた時間に、無事到着。(^^;)

盛林寺e

本堂横の建屋に入り、挨拶をし朱印帳を預け、供養塔へお参り。

盛林寺d

盛林寺c

裏山にある、伝・明智光秀の供養塔、他の供養塔よりも少し小さめでした。

その後、朱印帳を受け取る際に、少し和尚さんとお話ができました。
御寺の過去帳には、明智光秀に関する記録は無いそうですが、何故か?
一色義定と同じ位牌になっているそうだ・・・?。
御寺の訪問者も、一色氏や細川氏マニアが多く訪れるらしいが。。。
明智光秀マニアは、余り訪問されない様です・・・。(^^;)

盛林寺

家に帰宅後、一色義定について、調べたら、
明智光秀が、細川藤孝の娘と婚姻を進めた関係で、山崎の合戦後に、謀反の疑いにより、
羽柴秀吉・細川藤孝に攻められ自害したと言う。
御寺の場所も現在とは少し違う処に建っていた様なので・・・。
正確には、明智光秀の供養塔ではなく、一色義定の供養塔で、細川藤孝の娘が!
夫の供養の為に、立てたのが、正しいのではと感じた・・・。