天正8年5月4日、明智光秀は、書写山にて、里村紹巴宛ての手紙を書き。
5月2日に明石に着陣したが、洪水の為、一日、明石にいて、
明石潟・人丸塚・岡部の里を見学したそうだ。
人丸塚とは、百人一首で有名な歌人、柿本人麻呂を祀った処で、
江戸時代初期まで、明石城の本丸付近に、御寺が有って祀られていたが、
築城の際に、東に移転させたと言う。
光秀は、塚からみた瀬戸内の風景をみて、一句読んだそうで。
「夏は今朝島がくれ行くなのみ哉」
と言う事で、明石の人丸塚ゆかりの寺社で、御朱印を貰いに行きました。
(御寺か?神社か?と迷ったが・・・。気楽に貰える神社にしました。)
明石駅から歩いて、明石の天文科学館裏にある、柿本神社へ到着。
階段を登って本殿に到着、こじんまりした静かな神社でした。
御宮参りの神事をしていたので、少し待ってから、御朱印を頂きました。
あと、明智光秀は立ち寄った場所が、須磨の月見松・村雨の一本・つき島
らしいが、句を詠んだ、記録が無く、山陽ルートの御朱印は、此れにて終了。
5月2日に明石に着陣したが、洪水の為、一日、明石にいて、
明石潟・人丸塚・岡部の里を見学したそうだ。
人丸塚とは、百人一首で有名な歌人、柿本人麻呂を祀った処で、
江戸時代初期まで、明石城の本丸付近に、御寺が有って祀られていたが、
築城の際に、東に移転させたと言う。
光秀は、塚からみた瀬戸内の風景をみて、一句読んだそうで。
「夏は今朝島がくれ行くなのみ哉」
と言う事で、明石の人丸塚ゆかりの寺社で、御朱印を貰いに行きました。
(御寺か?神社か?と迷ったが・・・。気楽に貰える神社にしました。)
明石駅から歩いて、明石の天文科学館裏にある、柿本神社へ到着。
階段を登って本殿に到着、こじんまりした静かな神社でした。
御宮参りの神事をしていたので、少し待ってから、御朱印を頂きました。
あと、明智光秀は立ち寄った場所が、須磨の月見松・村雨の一本・つき島
らしいが、句を詠んだ、記録が無く、山陽ルートの御朱印は、此れにて終了。