明智光秀公の霊に導かれたのか?否や?
私の住む近くには、面白い伝説が有ります。
場所は、物集女街道と旧山陰道の交差点を西に少し入った所を、
流れる小さな用水路で、桂川の松尾から物集女街道沿いを流れている
小畠川(明智川)です。
其処には、こんな案内板がありました。
天正10年6月2日に、明智光秀が、この地で目撃されている
話が正しければ、こんな仮説が出来ます。
天正10年6月2日、斉藤利三率いる3千(惟任退治記では、大目にして!1万3千)
の兵が丹波(西山)街道を南下、長岡調子付近から、反転西国街道を北上、
東寺付近で農民を切り捨てて、本能寺を襲撃。
革島荘に本陣を置いていた、明智光秀は早朝、京都の異変に気付き樫原の高台へ!
赤矢印付近が、本能寺の方角
googleマップでも真正面に、見える~!
目を疑った、光秀が思わず真意を確かめるために、
近くに居た、百姓に声を掛け、本能寺だと解ると!
直ちに軍勢を本能寺へ向わせたが、
時すでに遅し、二条御所が囲まれていた・・・。と言う話が成り立ちます。
この日は、夕刻まで、光秀の目撃情報が記載されていないので・・・。
事の真意は?定かでは有りません・・・。