暇に任せて、いろいろとWeb検索してたら、面白いサイトを見つけた。
本名・山中幸盛(別名・山中鹿之助)の武勇伝を書いたサイトだ。
この山中幸盛は、山陰の武将で、戦国大名の尼子氏に仕えていたが、
毛利によって滅ぼされてからは、御家再興に力を尽くし、
織田信長の軍勢に加わり度重なる武勇伝を残した有名人だそうだ。

史実か?如何か?不明ではあるが、こんな話が書かれていた。
明智配下時代、明智の将・野々口と言う武将が、鹿之助に会って、話をしたそうだ。

と言う事で~!
山中鹿之助が、出ている本を見つけて昨日買ってみた。

野々口丹波
「拙者は不肖の者ではござるが、それでも時の仕合せで武功を立てたことが三度ござる。
しかしながら、まるで無我夢中で、敵を突き止め首を取ったあと、夢のさめたように、我に返ります。自分で如何働いたのか、よく憶えていないのでござる。然したるに、一度くらいでよい首を取った者にして、自分の動き、敵の動きを詳しく物語る者がござる。かような者は、生得の勇者で、拙者は天性の臆病者なのでござろうか」

鹿之助
「貴殿は、まことに正直なお人でござる。今仰せられた者は、まやかし者にて、真の勇者ではござらん。拙者は二度も首供養をしたが、槍を合わせて4、5回までは、貴殿の言われる様に、まるで夢中でござった。7、8回におよんで暁の薄明かりほどに解るようになり、十度におよんで心平静にて、昼間に見るがごとき敵の内冑が見える様になりました。こうなれば、何処を突くべきか何処を薙ぐべきか、ハッキリと解り、高名手柄を思うがままに立てられます。貴殿はまだ、お若い(経験が浅い)、首数が重なりれば、拙者の今申したことが、なるほどと合点まいるでござろう」

 野々口丹波が、鹿之助を招待した、約束の日

明智光秀
「今日、風呂を立て申したるにより、入りに来られよ」
鹿之助
「御家中の野々口殿と御約束がありますので」

そのあと、明智光秀は、「山中殿を招いてふるまいをいたす由、これを肴に使え」と
言い雁1羽を、野々口の屋敷に送った。
という風に、書かれていた。

明智光秀の家臣として、余り登場しない、御先祖様ですが、此れが本当だったら凄いよね!!

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