2009年05月
本日は、京都伏見にある光秀終焉の地?
明智藪に行って来ました!
京都市伏見区小栗栖にある明智藪の碑ですが、
宅地造成で、竹薮が無くなった為、最寄の本経寺裏に石碑を移設されています。
本経寺の看板を目印に細い路地を入ると、明智藪の案内板も出現!
矢印を辿って行くと、何とか?行けました。
明智光秀が、落ち武者狩の竹槍で刺された場所ですが、
地元伝説では、土豪の飯田一族によって打ち取られ、
その後、羽柴秀吉から褒美を頂いた記録も残るらしい。
竹薮で土民の竹槍に刺されたと言う嘘話、
一体何人、信じているだろう・・・。
何故なら竹薮の竹は、約直径15cm位で、不規則に生えているので、
人が隠れる事は出来ない!さらに馬上にいる鉄甲冑を着た、
光秀の脇腹を刺すのは!不可能!
当時は馬を驚かせて落馬させて首を切りつけるのが支流ですから、
刺そうとすると約3m位の槍で、一突きしないといけませんが、
竹薮でそんな槍を使うと、竹に当って身動きが取れません!
時代劇に出てくる竹薮は、筍用の竹林なので間隔は広く、刀が振り回せますが・・・
自然に生えた竹林はもっと密集してます。
手入れのされていない竹薮は更に!人が隠れるのも難しく足の踏み入れる場所も有りません~!
城の防御の為、植えている程なので、敵を防ぐには、良い場所です。
真相は、薮の中と言う言葉が、合いそうな?場所ですね!
先週から、仕事が動きだしたが、(下請け会社の為、他社での出稼ぎ作業。)
キャンセルが無い限り6月末までは?フル稼働生産・・・。
チョット極端なんだよな・・・。(--;)あ~しんどいなぁ・・・。
処で、先週の日曜日、以前から気に成って探していた本を見つける事が出来た。
また!この本もくだらない本かも?と思っていたので、まずは!
見てから購入と決めていたので、取り寄せせずに運?まかせにしていました。
駅前の本屋で、私に買ってくれと言わんばかりに眼下飛び込み
、しかも一冊だけ無造作に放置されていたので・・?
手にとってチョット立ち読み・・・悩んだあげく、これも何かの縁と思い、1600円で購入・・・。
その本は、明智光秀の子孫で、明智憲三郎さんと言う人が書いた本で、
題名が「本能寺の変・427年目の真実」という本です。
筆者は、大量の書物(江戸初期までの日記や記録)を洗い出し、
明智光秀の足取りを調べ直したそうだ。
その記録から今まで語られて来た、光秀・秀吉・家康の行動が、
嘘で塗り替えられていた事が、解かったと言う物です。
実際この本を読んで、少し疑問が有った処が、何と無く溶けた様な気がする。
怨恨説・黒幕説、支持者には不満かもしれないが、
各記録・資料を、一冊にまとめた物なので、
私的には、御薦めかなぁ・・・。
ルイス・フロイスの書によると、
6月1日は→6月20日・聖体の祝日の八日目(水曜日)だそうだ・・・?
天正10年6月1日17時過ぎ頃に、丹波亀山城を出た軍勢は、
次の日の早朝4時には、本能寺を包囲したらしい。
石碑を探しに、西洞院から六角通りを目指したら、別の石碑を発見・・・。汗
寝込みを襲われ非武装だった事もあり、短時間での決着だったとか。
余談ですが、6月・家の前に、ゴミを捨てに来る不審者がいたので、
ビデオで、夜間撮影をしていたが、早朝4時を過ぎれば、
周りが明るくなり初め、5時には十分!明るくなりました!
と言う事で、映画やテレビ画像は!全部ウソ!!だと言う事が解った!
信じない人は!日の出の時刻を見る様にしましょう~!
記録によると、信長ではなく家康を討ち取りに京へ行ったと、思った者が多かったそうだ。
信忠は、本能寺の変を聞いて、妙覚寺から二条御所(誠仁親王の屋敷)に移動?
二条御所包囲が、午前7時。
親王が、上御所に移動完了が午前10時。
チョット無駄な行動としか思えん・・・逃げられた時間は十二分に有りながら自ら死を選んだ感に思える。
kのの
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