京都市東山区梅宮町にある、明智光秀の首塚。
粟田口にて、晒されていた首を、まとめて埋葬し、供養されていたが、
江戸中期に、明田理右衛門宅に移され祀られていたそうだ。
その後、この地へ移って来たらしい・・・。

尊勝院

ここは、昔、青蓮院門跡と縁のある、尊勝院の敷地で、梅宮社の祠だったと言う。
明治の神仏分離令によって尊勝院は、衰退・・・。
大正時代に、本殿のみ別の場所へ移築されて行ったそうだ。
今は、梅宮と言う町名のみが残り、祠は、明智光秀公の首塚と名を変えて祀られています。

と言う事で、尊勝院へ朱印を頂きに行きました~!

尊勝院b

場所は、青蓮院の手前の路地を入った、山道を登った高台に在ります。
明智光秀の首塚からは、5分ぐらいで行けます。
参道の坂道で、少し汗を流したら、豊臣秀吉寄進の本堂が見えました~!
境内に入ると、運良く住職さんが、縁側に出ていたので、御挨拶して御朱印を頂居ました。

尊勝院aa

尊勝院は、その昔、徳川家康の命により、多賀大社の別当職となり、管理を任されていたそです。
また、青蓮院の僧が、尊勝院の住職を代々務めた様です。
いま、巷で噂の明智光秀、多賀佐目出身説と、なんか?関係有るのだろうか?

さらに、ここには、日光東照宮と同じく、不見・不聞・不言の三猿像(庚申尊)が祀られています。