先日、祖父母の法事が有り、伯父の家へ行きました。
家の家系は、曹洞宗の檀家なんですが・・・。

伯父の都合で、神尾山・金輪寺(天台宗)に引越し。
(西蔵坊ゆかりの寺でもある。)

そう言えば、西蔵坊が施主で作った仏像がある寺も天台宗だったけ。
西蔵坊は、天台宗派だったかもね!


家に帰って、宗教から見る、明智光秀と言う事で、
手持ちの本で生前ゆかりの寺は無いか?
で光秀の宗派は特定出来るか?と思ったが、様解らんかった・・・。

伯父は、臨済宗妙心寺派で、光秀末裔が住職と言う本徳寺も臨済宗。
光秀が生前保護してたと言う、西教寺は天台宗。
光秀が丹波攻めの時、信仰してた不動明王がある谷性寺は、真言宗。
福智山城を築いた頃、庇護した、天寧寺が、臨済宗
須知氏の山城を攻めた時に、焼けた御寺を再建した、玉雲寺(曹洞宗)
光秀が生前よく通った、廬山寺は、天台圓淨宗
戦国武将には宗教感が無いのか・・・・。
(仏の嘘は方便と言ってた、人だからなぁ・・・。)

ネットで色々と検索していたら、面白い事に気が付いた!

岸和田・本徳寺(旧貝塚市・海雲寺)がある!
岸和田藩!初代藩主が!小出秀政だった!
そう!秀政の孫が、園部藩主・小出吉親だ!これ偶然か?

吉親は、小出・豊臣の菩提寺が、日蓮宗、
徳川は浄土宗にも拘らず、園部藩主の菩提寺を、
曹洞宗の徳雲寺にきめて、親寺を玉雲寺(曹洞宗)にしたそうだ。
我が家の菩提寺・最福寺は、蜷川氏ゆかりの蟠根寺と同じ孫寺だそうだ・・・。


玉雲寺ですが、明智光秀が近くの城を攻めた時に、
焼けたそうですが、別の場所に光秀が再建したと言う伝説
(正確には明智九太夫らしい)明智家ゆかりの、お寺だそうです。

小出吉親は?何故?明智ゆかりの寺を、親寺に決めたのか謎が深まる・・・。

光秀=天海と言う、説があるが、天台宗には素人が昨日今日出来ない!
動作?作法?と言うのか解らないが、「弾指」と言う業がある。
自分もやってみたが、上手く鳴らないものだ・・・。

金輪寺の和尚さんは、得とくするのに5年は掛かった??そうだが・・・。
冗談か?本当か?ともあれ、天台宗の高僧が!
「弾指」出来んかったら!まずいやろ!
と言う事で、光秀=天海は!檀家!もしくは元僧侶で無い限り不可能である!

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