京都府南丹市園部町にある、曹源寺へ出掛けました。
曹源寺は、曹洞宗の御寺です。

曹源寺は、江戸時代、船井郷三十三ヵ所巡りの二四番の札所でした。
(ネットで、調べたら殆どの御寺は、朱印をしていない様でした・・・。)

曹源寺d

何故?ここへ来たかと言うと、なにやら明智光秀ゆかりの御寺だと書いて有ったからです。
訪問したら、以外にも小さい御寺で、御自宅と棟続きだったので、ちょっと戸惑いました・・・。

インターホンを押すと、奥様が出て来られ、御朱印を訪ねた処、今はしていないとの事だったので・・・。
敷地内の撮影許可を貰うため、「明智光秀の・・・。」と言ったら、
御住職を御呼びくださりました。
なにやら、私以外にも、明智光秀関係で、訪問して来る人が、たまに来る様です・・・。

曹源寺e

この五輪塔が、噂の主です。
その昔、明智光秀が、丹波攻めをした時、多くの戦死者が出たらしく、
供養の為、作られた五輪塔と言われ、御寺には、明智ゆかりの人からの寄進した品が伝わっているとか・・・。

この御寺は、ここより川下に建っていたらしく、江戸時代に、
河川の氾濫で流され、川上の高台に移築されたそうです。
五輪塔も、移設されたのか?昔からここに在ったかは?不明だそうです。
また、近くの国道の拡張工事で、撤去された五輪塔の一部が、裏の墓地にもあるらしい。
一番大きな、五輪塔には、梵字が掘って有った様ですが、風化で見えないとか・・・。
以前、専門家が来て、年代測定をしたそうで、室町後期(戦国時代)だと言う。

明智ゆかりの品について、
仏様を入れる厨子で、横サイズ(覚えきれなかった・・・。汗)二体安置されていて、
高さが約70cm位?で、扉の内側に、桔梗の紋が入っていて、
普段は、外から見えない作りに成っているそうです。(非公開)

曹源寺b

住職様、曰く、曹洞宗の開祖・道元が、京都での布教が、出来なかった時、
福井へ招かれ、永平寺を創設、親交していた、波多野義重の末裔が、
明智光秀によって、攻められたと言う事で、良いイメージが無いそうです・・・。

曹源寺a

最後に、御好意で、朱印を書いて頂けました~!有難う御座いました。
もし、この記事を見て、訪問される方は、事前に電話の上、訪問して欲しいと言う事でした。
(突然訪問して・・・済みませんでした・・・。)

br_c_1761_1